PENNY ARCADE

 私が好きなスティーヴン・ミルハウザーという小説家の作品に、『イン・ザ・ペニー・アーケード』という短編がある。”もう小さな子供ではない″12歳の少年が、2年ぶりにやってきた遊園地で、両親から離れてペニー・アーケードの中に入っていく。神秘のかけらもない最新のピンボールマシンやクレーンゲームに失望しながら奥へ進むと、2年前までは少年の心をときめかせた早撃ちカウボーイやボクサーや小さなホッケー選手たちが無造作に捨てられている場所を見つける。「こここそ、かつて僕が憧れたものたち、忘れてしまったものたちがひしめきあう、失われたペニー・アーケードであることは疑うべくもなかった」。少年はそこで小さな奇跡を体験し、大切なことに気づく。「彼らが僕を裏切ったのではなかった。僕が彼らを裏切ったのだ」。平凡な人間になる前にそれに気づけたことを感謝して、少年は明るい陽光の下で待つ両親のもとへと帰っていく。
 
 記憶の中のペニー・アーケードは、いつもほこりの匂いと薄暗がりとともにある。何かに挑戦する気持ちと、何かを信じる気持ちがあれば、いつまでも楽しむことができた。きっと今でもそこには、景品をあきらめきれなくて10円玉を握り締めている自分がいる。欲しいおもちゃを指差して泣いている自分がいる。未来はあまりに茫漠としていて、でも車は絶対に空を飛んでいることを疑わない自分が、まっすぐな目でこちらを見据えて立っている。
 8年ぶりとなるこのアルバムで、恭一は何も声高に主張しない。大笑いをしているわけでも、何かに怒っているわけでもない。普通の生活の中で当たり前に感じることを、嘘のない音と言葉で届けてくれる。でもそこにはやはりささやかな違和感、世界と自分との間を隔てる距離(それこそが恭一を表現者たらしめている要因だと私は思う)が横たわっていて、自分がなぜそんなものを身にまとってしまったのかに思いをはせるとき、ねじれた時間軸が目の前で扉を開いてくれていることに気づくのだ。
 私たちはもう、晴れているからというだけではしゃぎ回る子供ではない。でも、晴れていれば鼻唄を歌う程度には嬉しい。置き去りにすることができないものの存在も知っている。まだ何もあきらめる理由がないこともわかっている。毎日は続いていき、音楽は鳴り止まない。それを幸せと呼ぶか呼ばないかはさておき、恭一の歌はありふれた日常を包み込み、ほんの少しせきたてる。
 あの頃描いていた未来とはちょっと違うけれど、今もきっとペニー・アーケードでうずくまっているかつての自分を迎えに行こう。それはくすぐったさと後ろめたさが同居する、不思議な経験に違いない。恭一の音楽をBGMに、私は今日もそんな想像を楽しんでいる。


      佐々木美夏


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M1. 感傷的な会話
M2. 日曜日
M3. Timing
M4. 秘密基地
M5. 蝶々の指輪
M6. ピーナッツ
M7. イメージの裏切り
M8. 石の星
M9. 記憶
M10.愛の国ガンダーラ
M11.HAPPY BIRTHDAY
M12.ハミング


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